5月5日(金)玉蔵院浴油堂 出世毘沙門天大祭

 

飛鳥時代に聖徳太子により開らかれた信貴山は、日本最古の「毘沙門天王」霊場として知られる祈りの山。玉蔵院は信貴山の山内塔頭として平安末期に創建。祈願寺として、また宿坊のあるお寺として広く親しまれています。

奉迎

旅色に紹介されました

5月5日(金)玉蔵院浴油堂 出世毘沙門天大祭

5月5日(金)玉蔵院浴油堂 出世毘沙門天大祭

玉蔵院浴油堂にお祀りされている、刀を八鞘手に持ち獅子に載ったお姿の出世毘沙門天(刀八毘沙門天)、 八臂辨財天、三面大黒天様に願いを捧げる一年に一度の大祭です。 新緑の綺麗な季節、皆様お揃いでお参り下さい。 11:00より(受付9:30~)   詳細は 玉蔵院浴油堂 出世毘沙門天……

玉蔵院の四季

玉蔵院の四季や行事、
日々の取り組みをご紹介しています。



令和5年 後寅(2023年)4月 1日

 暖かい日が続いております。皆様益々御清祥のことと拝察申し上げます。後寅の今年は、宗祖弘法大師の御生誕1250年の記念の年でもあります。6月7日に善通寺において信貴山朝護孫子寺による弘法大師ご生誕の法会が営まれます。卯年は信貴山にとりまして、三年参りの「後寅の年」として奥秘仏本尊毘沙門天王とのご縁を整えて行く大切な年でもあります。後寅の様々なお札やお守りの授与をいたしております。

弘法大師は宝亀5年(774年)讃岐国多度郡屏風ヶ浦に誕生され、父は佐伯氏、母は阿刀氏と言われています。この時代、道鏡と関わりある「恵美押勝の乱」、蝦夷の乱である「宝亀の乱」、長岡京遷都の「藤原種継暗殺」などがあり、奈良時代から平安時代へ同時に律令体制から負名体制への移行期で、不安定な時代であったようです。

弘法大師は仏道修行にはいることを説明するために記されたのが、日本最初の戯曲ともいわれる『三教指帰』です。当時の都である長岡京の大学を退かれた弘法大師が、24歳の時に記された作品といわれるものです。登場人物の蛭(しつ)牙(が)公子(こうし)に、亀毛(きぼう)先生が儒教を説き、虚(きょ)亡(ぼう)隠(いん)士(じ)が道教を説き、最後に仮(か)名(めい)乞(こつ)児(じ)が仏教を述べて、仏教が最も素晴らしい教えであると結論されています。

さて、3月7日に日本のH3ロケットの打ち上げが、残念ながら失敗に終わりました。宇宙の軍事化・商業化の競争が激化している今、大プロジェクト失敗は大きな痛手ですが、ここから検証・精進を重ねて、更なる飛躍の糧にして発展していくことを切に願います。

 

『三教指帰』巻中、虚(きょ)亡(ぼう)隠(いん)士(じ)の言葉に

『微樂(びらく) 朝(あした)に至れば天上の樂(よろこび)を笑い、小(せい)憂(ゆう) 夕(ゆうべ)に迫れば塗炭に没するが如し、娯曲(ごきょく)未だ終らざるに悲引(ひいん)忽(たちま)ちに逼(せま)る。今は卿(けい)相(しょう)たれども明(あす)は臣僕と為る。』

「わずかな楽しみが朝あれば、天にのぼったような思いで喜び、夕方ちいさな心配事があれば、塗炭の苦しみに会ったように思う。楽しみの音楽が終わらないうちに、もう悲しみの音楽が聞こえる。今日は大臣であっても、明日はもう家来となす。」と道教の教えが説かれています。

グローバルな競争と変化にさらされている現在、特にビジネスの世界ではスピード・効率・合理化は重要視されます。同時に目先の事ではなく、落ち着いて冷静に物事を深く把握し、自省する事、広い視野長い時間で考え行動することは必要不可欠な事です。

先行き不透明な時代、春の信貴山で毘沙門天王様や自然に触れて、平常心や落ち着きを感じて頂き、聖徳太子以降多くの人々に信仰された毘沙門様の冥加を授かられますよう心よりご祈念申し上げます。

合掌

御祈祷・修行体験のお申込み
宿泊のご予約

TEL 0745-72-2881