




飛鳥時代に聖徳太子により開らかれた信貴山は、日本最古の「毘沙門天王」霊場として知られる祈りの山。玉蔵院は信貴山の山内塔頭として平安末期に創建。祈願寺として、また宿坊のあるお寺として広く親しまれています。
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玉蔵院の四季
玉蔵院の四季や行事、
日々の取り組みをご紹介しています。
令和8年 丙午(2026年)4月
春らしい暖かい日々となりました。皆様方におかれましては、お元気にお過ごしのこととお慶び申し上げます。地球上では毎月のように紛争が発生し、また激化しております。一日も早くそれらの火種が沈静化することを、日々祈る思いでおります。 そのような状況の中、ポスト・トルースやフィルターバブルといわれてきた事が、私たちの身の回りでも、多くなっている感を否めません。
あらゆる場面で、事実より、相手を理解することより、言い負かすことを第一の目的とした言説が広がり、対話そのものが次第に難しくなっているようにも思われます。 古くはお釈迦様やソクラテスが説かれたように、本対話とは互いに問い、考えを深め、真理に近づこうとする営みであったはずです。
しかし現代では、事実とは異なるその場限りの言葉や印象的な言い回しが広がり、言葉が本来の役割を離れてしまっているように感じられることもあります。政治思想家も、事実が軽んじられ、言説だけが独り歩きする社会の危うさを半世紀以上前に指摘しています。事実が共有されず、人々が言葉の力によってのみ動かされるとき、社会は容易に分断され、誤った方向へ進みかねないと警告されていました。言葉は、互いを理解し、社会をより良い方向へ導くためのものであるべきだと思います。相手を言い負かす論争だけの言葉ではなく、静かに耳を傾け合う対話の大切さを思い起こしたいものです。
お釈迦様の言葉(スッタニパータ:八つの詩句の章)にも、次のように説かれています。(意訳)
「一方的に定めた立場に立って、考え量り、(他を軽んじる)者は、世の中で論争を引き起こす。しかし一切の(哲学的な)断定を捨てたならば、その者は確執を起こすことがない。」
桜の季節となります。どうぞ信貴山でお楽しみください。
皆様方に毘沙門天王様の御加護があらんことを御祈念申し上げます。











