dsc02370.jpg dsc02364.jpg dsc02437.jpg

令和4年(2022年)は寅年です。
1月2月7月には信貴山本堂に祀られている
奥秘仏ご本尊の12年に一度の御開帳。
2月寅月にはご信者様が
奥秘仏ご本尊とご縁を結ぶ結縁灌頂という密教の有難い法会が厳修されます。
是非12年に一度の勝縁にご参拝下さい。詳しくは玉蔵院迄お尋ね下さい。

鎌倉時代、興教大師覚鑁(かくばん)上人がこの山に参篭された時
毘沙門天さまよりありがたい摩訶不思議な玉「如意宝珠」を授けられ
この寺に蔵められたことから『玉蔵院』と呼ばれるようになりました。

国定公園内に位置する信貴山では、四季折々の自然を楽しめます。
春は梅、桜、夏は避暑、秋は紅葉と一年を通じて自然を満喫することができ
山を散策しながらお参り頂く事も出来ます。
一般の観光の個人や団体の方などお気軽にご利用ください。

令和元年9月23日

 
謹 啓 残暑も和らぎましたの頃、ご信者の皆様方におかれましては益々
ご清祥にてお過ごしのことと存じます。
本年夏も九州北部や千葉県各地で豪雨などによる自然災害で
お亡くなりになった方々もいらっしゃいました。
心からお悔やみ申し上げますとともに、被災地の方々のご健康と復興を
お祈り申し上げます。
また、夏の猛暑は、日本のみならず世界の各地で災害級となりました。
世界の気候が、日本の四季が何時までも保たれるよう願うばかりです。
本年も海外からの日本訪問者が増えているようです。
当山でも外国から訪れる方も多くなっております。
何気ない普段の生活では、我々は日本文化の良さにも気づきませんが、
外国からの方々に教わることもあります。
 お釈迦様の教えである仏教は、日本へインド・中国・朝鮮半島を経てもたらされました。
慧慈(えじ)は,高句麗の学問僧で、595(推古3)年に
来日し,聖徳太子の仏教の師となり,同年渡来の百済の慧聡(えそう)と
ともに三宝の棟梁と尊ばれました。
596年造営の法興寺(飛鳥寺)に住み,仏法を弘めました。
615年に帰国しています。
東大寺の大仏開眼供養を行った菩提僊那(ぼだいせんな)は、
南インド出身の僧で、中国・唐に行き、そこで日本の遣唐使から要請を受け
来日されました。当時、僧尼を取り締まり、諸寺を管理する職である
僧綱(そうごう)に任じられていたのは、僧正が菩提僊那、大僧都が
行達(ぎょうたつ)、少僧都が良弁(ろうべん)、律師が道璿(どうせん)、
隆尊となっています。この内、行達は新羅へ留学しており、道璿は
唐の僧です。東大寺初代別当の良弁は、彼に因んだお菓子でも
知られておりますが、新羅で学んだという説もあります。
 因みに、弘法大師も810年に東大寺別当に任命され、東大寺塔頭の真言院
を創建されています。
 その後、遣唐使の要請を受け、六度目の渡来で漸く鑑真和上が、
現在の鹿児島県坊津町秋目裏に漂着されました。鑑真和上一行は24名で、
僧が14名、尼僧が3名、他に優婆塞等ということでした。
また、この中にはイラン系ソグド人や東南アジア出身者も含まれていた
とされます。
 東大寺大仏殿の前に戒壇が築かれ、聖武太上天皇、光明皇太后夫妻、
娘の孝謙天皇に菩薩戒を授け、続いて440名余に具足戒を授けられたと
伝えられています。様々な唐の文化を齎されたことも知られています。
やがて、鑑真は僧綱の大僧都に任命されました。その時は、最上位の僧正が
菩提僊那、同じく大僧都には良弁が任命されました。その後、僧綱の任から
解かれ、大和上の称号を受け、唐招提寺建立を許可され、
763年に唐招提寺で御遷化されました。76歳でした。
 様々な他文化が日本にもたらされ、吸収され、時には反発されながら
現在に至っている、仏教も同様です。その様な遥かな多文化の交流と衝突に
思いを馳せるこの頃でございます
 快適な季節、紅葉の季節、信貴山で爽やかなひと時をお過ごしください。
皆様方に毘沙門天王様のご加護がございますようお祈り申し上げます。
                              合 掌